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ボリビア・スクレで歴史を紐解く!白い街の魅力と激動の近現代史まとめ

2016年3月24日木曜日

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【ボリビアの古都スクレ】沈没必至の「白い街」で、ちょっぴり切ない国の歴史を紐解いてみた

南米ボリビアを旅していると、誰もが一度はこう思うはず。「ここ、めちゃくちゃ居心地よくない?」と。
その答えのひとつが、憲法上の首都であるスクレです。

何が良いって、まず街が綺麗。そして何より、ネットがサクサク動くんです!
南米を旅していると、ネット環境の悪さに泣かされることも多いですが、スクレは別格。
あまりの快適さに、「もうここでいいじゃん……」と沈没(長期滞在)してしまう旅人が後を絶ちません。

スクレの美しい白い街並みと青い空

せっかくネットが繋がる環境を手に入れたので、今回はボリビアの不思議や、この国が歩んできた激動の歴史についてじっくり調べてみました。
「ボリビアのおばちゃんは、なぜみんな同じ格好なの?」といった素朴な疑問から、ちょっと意外な歴史の裏側まで、友達に話すような感覚でシェアしますね!

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ボリビア最大の謎?「三つ編み・シルクハット・ふんわりスカート」の秘密

ボリビアの街を歩いていて一番目を引くのは、なんといっても地元の女性(チョリータさん)たちのファッションですよね。

艶やかな黒髪を長く伸ばした三つ編み、なぜか頭の上にちょこんと乗ったシルクハット、そして何層にも重なったボリュームたっぷりのスカート……。
これほどまでに民族衣装のアイデンティティを保っている南米の国って、他にない気がします。

  • 独特の体型:なぜかみんなふっくらしていて、親近感がわくフォルム。
  • ファッションの統一感:全員がドレスコードを守っているかのような一貫性。
  • 肌の色:太陽に近い高地で生きる人たちの、力強い褐色の肌。

「なんでみんな同じ格好なの?」と気になって調べてみたら、そこには植民地時代の名残と、彼女たちの誇りが隠されていました。
知れば知るほど、あのアンバランスなシルクハットが愛おしく見えてくるから不思議です。

白い街スクレの誕生と、スペインに翻弄された銀の歴史

スクレの街並みが「白い街」と呼ばれるようになったのは、16世紀のスペイン征服時代に遡ります。
1533年、スペイン軍によってインカ帝国が滅亡。その後、ボリビアの運命を変える巨大な銀山がポトシで発見されました。

「銀」がもたらした光と影

ポトシで採れた銀は、このスクレの街を南スペインのような美しい白塗りの建物で埋め尽くしました。
しかし、その富がボリビアを豊かにしたかというと……現実はちょっと違ったようです。

  • スペインの台所事情:ボリビアから略奪された銀は、海を渡ってスペインへ。
  • 借金返済:当時のスペインは借金まみれ。せっかくの銀も、ドイツなどへの借金返済に消えていきました。
  • 資源の枯渇:17世紀になると、あんなに溢れていた銀も底をついてしまいます。

資源があるがゆえに利用され、枯れたら置いていかれる……。なんだか、この頃からボリビアの苦難が始まっていたような気がしてなりません。

独立、そして「全戦全敗」の悲しき戦争史

1824年、ボリビアに転機が訪れます。
本国スペイン出身者と、ボリビア生まれのスペイン人(クリオーリョ)との間の格差に不満が爆発!
「自分たちの国を作ろうぜ!」という独立運動が起こりました。

ボリビア誕生の地「自由の家」

1825年、ここスクレにある「自由の家(Casa de la Libertad)」で独立宣言が調印されました。
解放者シモン・ボリーバルの名にちなんで「ボリビア共和国」が誕生したのです。
(実際に行ってみると「え、ここが?w」と思うくらいこじんまりしていますが、歴史的な重みは凄いです!)

なぜ!?ボリビアの衝撃的な敗戦記録

独立を手にしたのは良かったものの、その後のボリビアの戦争下手っぷりは、正直見ていられないレベルです……。

戦争名 相手国 結果
太平洋戦争 (1879-) チリ 敗北。海への出口を失い内陸国へ。
アクレ戦争 (1899-) ブラジル 敗北。広大な領土を奪われる。
チャコ戦争 (1932-) パラグアイ 敗北。さらに領土を失う。

時の大統領が……な感じだったという説もありますが、最終的にボリビアは領土の半分以上を失うという、なんとも切ない結果に。今のボリビアが内陸国なのは、この時にチリに負けて海を奪われたからなんです。

チェ・ゲバラが散った地。混乱の近現代

ボリビアの歴史を語る上で外せないのが、伝説の革命家チェ・ゲバラです。
1966年、彼は革命の火を灯そうとボリビアにやってきました。

しかし、現実は非情でした。
地元農民や労働者からの支持が思うように得られず、わずか44人でのゲリラ戦を強いられることに。
そして1967年、アメリカ軍の支援を受けたボリビア政府軍によって、ゲバラはこの地で射殺されました。

その後もクーデターや独裁政治が続き、現代でも「世界一危険な道」として知られるデスロードでは年間150人近くが亡くなっているという、なんともハードな現状があります。

まとめ:歴史を知れば、スクレの風はもっと深く感じられる

一見、のんびりしていて平和に見えるスクレの街。
でもその背景には、銀の搾取、敗戦、革命の失敗といった、パッとしないけれど泥臭く懸命に生きてきた人々の歴史が詰まっていました。

次に街で三つ編みのチョリータさんを見かけたら、少しだけ敬意を込めて挨拶してみようと思います。
ここまで読んでくれてありがとう!スクレでの沈没生活、もう少しだけ楽しんできます。

自由の家の概要

ボリビアの独立宣言が1825年に調印された、歴史的に極めて重要な建物です。かつては大学のチャペルでしたが、現在は博物館として開放され、独立当時の議場や貴重な歴史資料、ボリーバルの肖像画などを見学できます。

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海外未経験で世界一周へ。
家族の反対を押し切り、右も左もわからぬまま飛び出したあの日。 「いつか」を待たずに旅に出たからこそ見えた景色があります。 準備不足でも、反対されても、夢を叶えたい人へ贈る旅ブログ。

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